バラの家に息づく、巣づくりの物語

バラの家に息づく、巣づくりの物語

この記事は、広報誌「榊住建だより」との連携記事です。
榊住建だよりは、年2回(夏・冬)に発行しています。
よろしければ、文末のサムネイルをクリックして参照ください。

〜築25年、美しく時を重ねる家〜

2001年4月に完成した竹野さんの住まいは、築25年を迎えました。

1階は鉄骨造の駐車場、2・3階は木造の住居。完成11年目に外壁を板張りに改修し、建物の四方にデッキを設けました。バラをはじめとした季節の花々や緑に囲まれたその姿は、まるで森の中に佇む家のようです。

完成して終わりではなく、手を加え、暮らしに合わせて育てながら、美しく経年変化してきたこの家。外壁の風合い、室内に使われた自然素材、庭に咲く花々の一つひとつに、家族の時間が重なっています。

この家を建てた竹野さんは、長く化学を教えてきた方です。素材を調べ、納得できるものを選び、住まいを「巣づくり」として考えてきました。

家とは、ただ建てるものではなく、暮らしながら育てていくもの。
竹野さんの住まいには、その考えがいまも息づいています。

今回は、この家に重なる竹野さんの記憶と物語をたどります。

第1章:築25年、美しく時を重ねる家

竹野さんの住まいは、2001年4月に完成しました。

1階は鉄骨造の駐車場、2・3階は木造の住居。都市の中で車を置く場所を確保しながら、上階に家族の暮らしを重ねる住まいです。

完成から11年ほど経った頃、外壁を板張りに改修しました。さらに、建物の四方にはデッキを設けています。庭やデッキにはバラをはじめとした季節の花々が咲き、緑が建物を包み込むように広がっています。

外から眺めると、家は街の中にありながら、まるで森の中に佇んでいるように見えます。

築25年と聞くと、一般には「古くなった家」という印象を持つかもしれません。けれど竹野さんの家は、そうではありません。年月を重ねたからこそ生まれた美しさがあります。

板張りの外壁は、時間とともに色合いを深めています。室内の素材にも、暮らしの跡が自然な表情として残っています。庭の花々は、季節ごとに姿を変えながら、家族の時間を包んできました。

完成した瞬間がいちばん美しい家ではなく、暮らしながら少しずつ美しくなっていく家。

竹野さんの住まいには、そんな時間の重なりがあります。

参道の木々と庭の緑が重なり合う、氷川神社参道沿いのバラの家。

2階リビングから望む中庭。2階にいることを忘れるような、緑に包まれた景色です。

バラや草花に包まれた、2階のエントランスとお庭に続く緑の回廊です。

第2章:大宮の土地に残る記憶

竹野さんの家は、大宮のこの地(氷川神社参道付近)に古くからあります。

親戚の間では、かつて「太鼓橋の竹野」と呼ばれていたそうです。昔、このあたりには水路があり、そこに太鼓橋と呼ばれる橋がありました。いまでは、その橋も水路も、当時の姿を残してはいません。けれど、その呼び名には、この土地に根を下ろしてきた家の記憶が刻まれています。

竹野さんは、この家の四代目にあたるといいます。ひいおじいさんの代にこの土地を求め、家を建てたという話が残っており、仏壇にはご先祖の位牌が並んでいます。

昔は、地名や屋号のようなもので家を呼ぶことがありました。
どこの竹野か。
太鼓橋の竹野。

それは、地図には残らないけれど、人の記憶の中に残る名前です。街が変わり、道が整い、建物が建ち替わっても、家に伝わる呼び名は、その土地に流れていた時間を静かに語り続けています。

竹野さんの家づくりは、何もない場所に新しく家を建てることではありませんでした。代々受け継がれてきた土地に、これからの家族の暮らしをどう重ねるか。その問いから始まっています。

幼い頃の記憶にも、大宮の街の姿が残っています。

竹野さんは、妹さんとの二人きょうだいです。近くにも幼稚園はありましたが、三年保育を行っていた幼稚園に通うため、妹さんと二人で大宮駅の西口まで歩いていました。いまの感覚では、小さな子ども二人だけで歩くには少し遠く感じる距離です。

しかし、当時は車も少なく、子どもたちが自分たちで街を歩いていく時代でした。

その通園の途中にあったのが、大栄橋です。

橋の下には線路が走り、汽車が通っていました。汽車が来ると、煙が立ち上がります。竹野さんと妹さんは、その煙を見ながら橋の上を歩きました。時には煙を追いかけるように、時には煙に包まれるように。

「すごく楽しかったと聞いています」
奥様が、当時の様子をそう振り返ります。

大宮は、昔から鉄道の街です。大きな駅があり、汽車が行き交い、遠くへ向かう線路がありました。けれど、いまのように西口が整備され、大きな建物が並ぶ街ではありません。大栄橋を越えた先には、まだ開発されていない田園景色が広がっていました。

竹野さんは、その街の変化を身体で覚えています。

汽車の煙。
橋の上の風。
妹さんと歩いた道。田園風景。
まだ今の姿になる前の大宮。

その記憶は、竹野さんにとって、ただ懐かしいだけのものではありません。自分がどこで育ち、どんな景色の中で大きくなったのか。その原点を確かめるような、深い記憶です。

第3章:自由を考え、自分の足で遠くへ向かった日々

高校時代の話になると、ひとつの言葉が浮かび上がってきます。

「自由」です。

竹野さんが通っていた高校は、制服のない自由な校風の学校でした。服装も髪型も比較的自由で、当時の周囲からは、少し変わった学校のように見られることもありました。

けれど、竹野さんにとっての自由は、ただ好き勝手にすることではありません。

生徒会に関わっていた竹野さんは、仲間たちとよく話をしていました。
自由とは何か。
自由であるためには、何を考えなければならないのか。
自由という言葉の意味を分からないまま、自由を口にしてよいのか。

高校生が、そのようなことを仲間と語り合っていたということに、少し驚かされます。

当時の仲間には、のちに学校の先生になった人、新聞記者になった人もいます。竹野さんにとって、その仲間たちは、単に一緒に過ごした友人ではなく、ものの見方や考え方を交わした存在だったのでしょう。

自由とは、何でもできることではない。
選ぶことができるということは、自分で考え、自分で責任を引き受けることでもある。

高校時代に考えたその感覚は、のちに竹野さんが化学を教える姿勢にも、家づくりへの向き合い方にも、どこかでつながっているように思います。

家を建てることもまた、自由な選択の連続です。

何を選び、何を選ばないのか。
何を信じ、何に納得するのか。
その選択を、誰かに任せきりにするのではなく、自分のものとして引き受けること。

竹野さんの家づくりには、高校時代から続く「自由」の感覚が、静かに流れているように感じます。

そして竹野さんには、もうひとつ印象的な一面があります。
それは、自転車で遠くまで旅をしていたことです。

学生時代、竹野さんはキャンピング車と呼ばれる自転車に荷物を積み、各地へ出かけていました。バッグを取り付け、寝る道具や食べる道具を載せ、何日もかけて走る旅です。

佐渡へ向かったこともあります。大宮から新潟方面へ走り、寺泊からフェリーで佐渡へ渡る。いま聞いても、簡単には真似できない旅です。

秩父の先、志賀坂峠へ向かったこともありました。夏でありながら標高の高い場所には雪が残り、通行が難しい場面もあったといいます。それでも、若い竹野さんは自転車で峠を越えようとしました。

それは、単なるアウトドア好きというだけではなかったのかもしれません。

地図を見て、行き先を決める。
道を選び、荷物を準備する。
自分の力で進み、知らない景色に出会う。
行ってみなければ分からないことを、自分の身体で確かめる。

その姿勢は、のちの竹野さんの生き方にも通じています。

虫や自然への関心から理科へ向かい、身近なものを化学として見つめ、家づくりでも素材や仕組みを自分で調べて確かめる。竹野さんには、ただ知識を受け取るのではなく、自分で近づき、自分で確かめようとする力がありました。

自転車の旅は、その原点のひとつだったのかもしれません。

そして、お子さんたちが生まれてからは、家族でキャンプへ出かけるようになります。ひとりで遠くへ向かっていたアウトドアの時間は、やがて家族と自然の中で過ごす時間へと変わっていきました。

知らない場所へ向かうこと。
自然の中に身を置くこと。
自分で考え、自分で動くこと。

竹野さんの家づくりにも、どこかその感覚が流れているように思えます。

第4章:暮らしの中に、化学がある

竹野さんは、大学で化学を学びました。

ただし、最初から教師になると決めていたわけではありません。研究者の道も、意識の中にはありました。化学という学問に向き合う中で、研究として突き詰める道と、人に伝える道。その間で、少しずつ自分の立ち位置を見つけていったのかもしれません。

もともとの出発点は、もっと素朴なものだったようです。

虫が好きだった。
自然が好きだった。
身のまわりのものに興味があった。

それは、最初から「学問としての化学が好きだった」というより、目の前にあるものを見て、「これは何だろう」と考える感覚に近かったのだと思います。

木。
布。
洗剤。
壁材。
畳。
漆喰。
界面活性剤。

暮らしの中にあるものを見て、それが何でできているのか、どういう反応をするのか、なぜそうなるのかを考える。竹野さんにとって、化学は教科書の中だけにあるものではありません。

奥様は、竹野さんが授業の中で、身近なものをよく取り上げていたと話します。酸性やアルカリ性、洗剤に含まれる成分、日用品の裏側にある化学。一般の人があまり気に留めないところに、竹野さんは化学を見ていました。

「化学の勉強は生活に役に立たない」と思われがちです。けれど、竹野さんにとっては逆でした。

暮らしの中にこそ、化学がある。
それを知らずにいると、落とし穴がある。
だからこそ、身近なものから化学に入ってほしい。

その思いは、教師としての授業にも、家づくりにも、深くつながっていきます。

竹野さんの授業は、教科書をなぞるだけのものではありません。

自分でプリントを作り、生徒たちに配り、授業を組み立てていく。板書をただ写すだけでは、学びにはならない。黒板に書かれたことをそのままノートに写しても、それで何を理解したことになるのか。

竹野さんは、そこに疑問を持っていました。

大切なのは、写すことではなく、考えること。
言葉や式を覚えるだけではなく、その意味に近づくこと。

だから、授業ではプリントを使いました。重要なところはあえて空けておき、生徒が自分で書き込む。板書に時間を取られるのではなく、話を聞き、考え、手を動かす。

奥様は、「毎日毎日、刷って授業をやっていました」と振り返ります。

身近なものを使った実験もあります。たとえば、べっこう飴。砂糖が溶け、煮詰まり、固まる。その変化を、子どもたちは楽しく見ながら、化学として学んでいく。

教科書の内容に沿いながらも、入り口は暮らしの中にあるものからつくる。生徒が「面白い」と感じるところから、化学の世界へ入っていく。

竹野さんは、そうした授業を積み重ねてきました。

竹野さんの言葉に、印象的なものがあります。

「読み書きそろばん、サイエンス」

生活に必要な力としての化学。
特別な人だけのものではなく、誰もが暮らしの中で使うものとしての化学。

竹野さんが教えたかったのは、きっと化学式そのものではなく、目の前のものに向き合い、しっかりと理解するための化学的な視点だったのかもしれません。

第5章:榊住建との家づくり 〜巣づくりという考え方〜

竹野さんの家づくりを語るうえで、欠かせない言葉があります。

それは「巣づくり」です。

家づくりではなく、巣づくり。

家は、ただ建てるものではありません。人が暮らし、家族が集まり、日々を営む場所。巣のように、自分たちの身体に合い、暮らしに馴染み、安心して戻ってこられる場所。

竹野さんは、家を「礼服」ではなく、「着やすい普段着」のようなものとして考えていました。見栄えだけを整えるのではなく、日々の暮らしに合っていること。無理がなく、長く使えること。自分たちの生活にちゃんと馴染むこと。

それは、家を商品として見るのではなく、暮らしの器として見るまなざしです。

だからこそ、竹野さんは徹底的に考えました。

掃除のしやすさ。
家族全員の布団を干せるベランダ。
子どもたちの部屋。
収納。
素材。
空気の流れ。
畳。
壁。
床。
外壁。

ひとつひとつを、自分たちの暮らしに引き寄せて考えていく。

家づくりは、巣づくり。
竹野さんの家は、その言葉を形にしていく過程そのものでした。

その家づくりには、膨大なやり取りが残されています。

当時は、メールではなくファックスの時代です。竹野さんは、要望や考えをまとめ、榊住建へ送りました。朝に届くファックス。それに対して返事をする。さらにまた竹野さんが考え、送る。

そのやり取りは、一度や二度ではありません。ファイルにまとめられた資料は厚く、さらに続きの冊子も残っていました。

奥様は、「毎朝、竹野さんのファックスで一日が始まります、と榊住建から言われたことがある」と話してくれました。

そこに書かれていたのは、単なる要望だけではありません。

家づくりとは何か。
自然素材とは何か。
信頼できるつくり手とは何か。
自分たちが主役であるとは、どういうことか。

竹野さんは、家に対する考えそのものを投げかけてくれました。

すべての要望を入れれば、予算は上がってしまう。
ならば、何を大切にし、何を諦めるのか。
その判断を、建て主とつくり手が一緒に行う。

竹野さんの家づくりは、建て主が工務店に任せるだけの家づくりではありません。かといって、工務店を一方的に動かすものでもありません。

考え、伝え、受け止め、返す。
また考え、また伝える。

その繰り返しの中で、家は少しずつ形になっていきました。

竹野さんが家づくりで強くこだわったもののひとつが、素材です。

当時は、シックハウスや自然素材への関心が高まっていた時代でした。自然素材という言葉が広がり、漆喰や珪藻土、火山灰を使った壁材などが注目されていました。

しかし竹野さんは、「自然素材」と呼ばれているからといって、そのまま信じることはしません。

本当に自然素材なのか。
何が入っているのか。
表面にビニールコーティングはされていないのか。
固めるために何かが混ぜられていないのか。
その材料は、時間が経った時にどうなるのか。

化学を学び、教えてきた竹野さんにとって、素材はイメージだけで選ぶものではありません。成分を見て、反応を考え、納得できるかどうかを確かめるものです。

家の中に使った壁紙も、一般的なコーティングをしたものではなく、あえてコーティングをしていないものを選びました。表面を守るために加工されたものは、一見扱いやすく見えます。しかし、十年ほど経つと、そのコーティング自体が劣化することもあります。

竹野さんの家では、多少のシミや跡はあっても、20年以上経った今も大きく劣化せずに残っています。

畳にもこだわりました。アレルギー対策を考えた畳を調べ、化学材料をできるだけ使わないものを選ぼうとしました。桐材も、本来は押し入れなどに使うものを、天井や別の場所にも使えないかと考えました。反ったり暴れたりする可能性があると言われても、「暴れたら暴れたでいい」と考え、試していきました。

それは、単なるこだわりではありません。

素材とは何か。
自然とは何か。
暮らしにとって本当に良いものとは何か。

竹野さんは、家づくりを通して、その問いに向き合っていました。

2000年2月に竹野さんから届いた最初のFAX。それは、家づくりの始まりを
告げる一通でした。2001年4月の完成まで、榊住建とのやりとりは約200回に及びます。素材への考え方や住まいへの思いが込められた記録は、いまも竹野さんのご自宅に大切に残されていました。

1階の駐車場に掲げられた「ECO2HOUSE」の看板。「エコロジーとエコノミー」を両立させる、竹野さんの思いが込められています。

第6章:手を加えながら、美しく経年変化する家

竹野さんの家は、完成したままの姿で25年を過ごしてきたわけではありません。

暮らしながら、必要に応じて手を加えてきました。外壁を板張りに改修し、建物の四方にデッキを設けたことも、そのひとつです。

板張りの外壁は、街中にある家の表情を大きく変えました。外壁の前にもう一枚、木の層をまとったようなつくりは、見た目の印象だけでなく、日射を受け止める役割も果たします。壁との間に空気層が生まれ、夏の日差しをやわらげる。葭簀(よしず)のように、家の外側で熱を受け止める考え方です。

四方に設けたデッキは、暮らしと庭をつなぐ場所になりました。バラや緑に囲まれたその空間は、地上から少し浮かんだ庭のようでもあります。家の外にいながら、家の一部のようでもある。室内と外部の間に、やわらかな余白が生まれています。

美しく経年変化する家とは、ただ古くならない家ではありません。

素材の風合いが変わり、庭の緑が育ち、手を加えた場所が暮らしになじんでいく。そこに、年月を重ねた家ならではの魅力があります。

竹野さんの住まいは、完成時の姿に留まるのではなく、家族の暮らしとともに変わりながら、いまの美しさへと育ってきました。

そして、この家づくりは、私たちにとっても大きな意味を持っています。

今回、残されていた資料を見ながら、改めて感じたことがあります。

この家づくりを通して、榊住建の家づくりもまた、ひとつ深まったのではないか。

建て主が細かく考え、要望を言葉にし、素材や考え方まで含めてやり取りする。そうした家づくりのあり方は、当時としては決して当たり前ではありませんでした。

毎朝届くファックスは、受け止める側にとっても簡単なものではなかったはずです。しかし、それを受け止める中で、私たちは少しずつ変わっていきました。

建て主は、家づくりの主役である。
私たちは、建て主の家をつくるパートナーである。
お互いに信頼し、考えを交わしながら、家を形にしていく。

いま私たちが大切にしている考え方の中には、竹野さんとのやり取りから受け継がれているものがあります。

「エコロジーで、エコノミー」

その言葉も、竹野さんの資料の中にありました。環境に良いものは高い、で終わらせるのではなく、暮らしの中で無理なく続けられる形にする。良いものを、求めやすく、長く使えるものとして考える。

性能や数値だけでは測れない家づくり。
自然素材という言葉だけでは終わらない素材選び。
建て主と工務店が向き合う家づくり。

竹野さんの家は、ひとつの住まいであると同時に、榊住建の家づくりの芯に何かを残してくれた家でもあります。

エピローグ:家は、時間を受け継いでいく

竹野さんは、自分たちの家づくりについて、結果としては合格点だと話してくださいました。

もちろん、時間が経てば、もっとこうすればよかったと思うところもあるかもしれません。時代も変わり、家づくりの技術も、考え方も変わっていきます。

大切なのは、自分たちが納得できるまで考えたということです。

調べる。
疑問を残さない。
自分で選ぶ。
つくり手と向き合う。
暮らしに合わせて手を加える。
そして、できあがった家を信じて暮らす。

家づくりは、一生ものです。だからこそ、誰かに任せきりにするのではなく、自分たちの暮らしとして考える。その過程にこそ、家の価値が宿るのかもしれません。

竹野さんの家には、大宮の土地の記憶があります。
汽車の煙を追いかけた幼い日の記憶があります。
自由について考えた高校時代があります。
自転車で知らない場所へ向かった若い日の行動力があります。
暮らしの中に化学を見るまなざしがあります。
教えることを通して、生徒たちに伝えようとした時間があります。
そして、榊住建と真正面から向き合い、家族でつくりあげた家づくりの記録があります。

バラの家に咲いているのは、花だけではありません。
そこには、竹野さんの人生が咲いています。

家は、完成して終わるものではありません。
手をかけ、時を重ね、受け継がれていくものです。

この家がこれからも、家族の時間を受け止めながら、静かに咲き続けていくことを願っています。